カフェにて、暮らしを再生する文化を育む

2005/09/15 VOL.36
カフェ・キーボー with 久松商店 店主 成田清和さん
 石岡の駅に程近い商店街。通りに沿って「ふるさとルネサンス」のノボリの目立つ国指定登録有形文化財の『久松商店』。ここで喫茶店「カフェ・キーボー」を営む成田清和さんを訪ねました。

 いけない事を考え付いちゃったんですよ

 東京の大手企業でIT推進事業を担当していた成田さんだが、2003年にUターン。隣接するチャレンジショップからスタートして、現店舗は今年(2005年)1月にオープン。もともと独立志向があって東京でのネットカフェ兼高齢者向けパソコン教室を考えていたが、「いけない事を考え付いちゃったんですよ。母の人脈を活かせば、ポスティングしないで生徒さんを集められる、とね。」

 そのタイミングで、父が入院した。見舞いに訪れた病院の待合室で、チャレンジショップへの”新規参入者募集”の広告を目にして、即座に申込を完了。「チャンスだと思ったんですよね。鬼の居ぬ間に進めてしまえば、いろいろ言われないですみますし。」決断力があるタイプ?「ずっと独立したいって、それまでウジウジ考えてたわけですよ。だからタイミングを得ただけで。」

 小川町で生まれ育ち、当時の石岡は憧れの街だった。その石岡の「コーキ(※2002年に閉店。石岡のシンボル的商店だった。)の並びで店が持てるっていう事は、銀座の三越の並びで店を開くことと同じ訳ですよ、私にしてみれば。」

 文化の再生をしたい。そこから暮らしの再生が...

 が、「もちろん今でも大赤字ですよ。いえ、すぐに飯が食えるようなやり方もあるんですけれど、それは”続けられる”仕事の仕方じゃないんですよね。たとえばパソコン教室は、音声認識など技術革新が進めばいずれ需要が減少するはずですし、それに比べてコーヒーのような何千年もかけて世界に発展している文化だったら、なくならない。但し時間はかかる。両側面で進めていって、100年経っても飯の食える場所を構築したいと思っています。」

 同時に、現在の石岡の街の姿に考えるものがあった。生産が消え、暮らしが消え、文化が消えつつある。それに対して「ふるさとルネサンス」として、石岡周辺の文化の再生・継承を考えている。創作民話や、その朗読劇。劇を演じる劇団「表現舎・しゅわーど」に、「希望ある楽しいひととき」のための音楽祭。すべてカフェ・キーボーの業務内容に加えられてきた。「自分で石岡の街を再生する。そういう信念を持ってやっていますから。」母の人脈を活かして、という当初の予測は、すべて「他人のふんどしなワケですよ。一人でできることは限られていて、何年かかるかわからないですけど、自分たちの文化の再生をしたい。そこから暮らしの再生がある、っていうことですね。100年かかったとしても、でも100年ってそんなに長い時間じゃないですよ。たとえば自分の孫には直接関係する時間ですから。」

 文化で食う

 かしてつ文化って呼んでるんですけれど、これは大きな地域財産なんですよ。」存続の可否が問われもする鹿島鉄道だが、利便性だけを求めてのいわゆる存続運動ではない。車両を借り切ってのジャズ演奏や、貨物倉庫を舞台にしての芝居など、あくまで独自の、それでいて地域に根ざした「文化」を追求する。「使われなくなっていた貨物倉庫に、私たちの行事をきっかけとして鹿島鉄道さんが立ち上がり、枕木を入れ替えてくれたんです。」文化の再生をきっかけとして、地域に実質的な「生産」を起こしていく。

 石岡の古い街並みに、ローカル線。鉄道ファンと建築ファン。そこに鹿島鉄道沿線の民話も織り交ぜ、霞ヶ浦の魅力も掛け合わせる。「古い資料を見ると、1965年には霞ヶ浦の水産資源は10億円だったんですね。これ、私の生まれる一年前なんですよね。」

 「かしてつ文化」構想には大きな夢がある。NPOアサザ基金とも連携して、菜の花からバイオマスエネルギーをつくる。菜の花だけでは季節が限られるので、年間を通じて在来品種のひまわり等の花を植える。それをエネルギーとして鹿島鉄道が走る。霞ヶ浦も浄化される。「これが実現すれば、イタリアの古い観光地や、釧路にも並ぶ世界遺産になりますよ。」

 「文化で食う」あるいは「文化から食うことを興す」というが、実現する可能性は?「身近なところでは板谷波山とか、またヨーロッパでは古い建物を残すことで産業にもなっているじゃないですか。それになにより文化を担う人、芸術家には、なにかを構築するエネルギーを感じるんです。それらを誰も活かそうとしないのであれば、自分でやれば良いと思っています。100年かけて、街を生産を構築する。そう考えています。」

 箱根駅伝、実業団、そしてまた...

 壮大な展望と情熱で語る成田さん。振り返って、毎日のカフェキーボーでは?「バカバカしい事を真面目にやってるんですよ。有志と”熱血商店会”というものをつくって、街角オークションをやっています。最初は2003年のワインの出品でした。2003年って出来の悪い年だったそうなんですけれど、その悪い状況の中、作り手が必死に良いものを作ろうとした。その思いのこもったワインからのアイディアです。これもだんだん盛り上がってくるんですよね。最初は受け入れられませんよ、なんだかわからなくて。でもやりつづけていくと、お客さんとのコミュニケーションも生まれるし、仲間との関係も構築されていく。」

 石岡の商店街。映画のセットのようなレトロな建物が並ぶが、決して派手な賑わいがあるわけではない。「一人一人の力じゃたりないから、集まって、何か面白いことは無いか?」と、成田さんの「目」は忙しい。人の、文化の、多くのネットワークをつむぎ出す場としてのカフェの目論見がある。

 大学時代の箱根駅伝、母校の区間記録を(数年前まで)持っていたし、その後も実業団で走りつづけた。「30歳くらいになって、今度はサラリーマンレース。」今も走ったりしてるんですか?「いえ、もうこれまでに人の2倍も3倍も走りましたから。」
 が、インタビューの中で「100年」と「構築」という二つの単語が繰り返し出てくる。もしかすると、これまでの駅伝ではなく、より長距離のマラソン志向に?

 インタビューを午前中に終え、雑談の中で求人や雇用・ニートの話、さらにインターンシップの話も。すると、その日の夕方、「インターンシップ受け入れの話を、高校の先生としてきた。また商店会のメンバーでも集まりを持った」という連絡が成田さんから届いた。駅伝でもマラソンでもなく、瞬発力のある短距離にも食指を伸ばしているかの様子だ。