自然の中で、自然に音楽スタジオ。ただし自分のルールで。

2005/10/27 VOL.37
虹の音楽堂 高村 努さん

 常陸大宮市の旧山方町。国道118号を折れて、なだらかな丘陵地帯に収穫間近の蕎麦畑が広がります。のどかな風景の中、大きなイチョウの木のふもとに佇む音楽スタジオ「奥久慈 虹の音楽堂」に高村努さんを訪ねました。

 比重が変わってきた

 大きなナゾは、やはりこの立地での音楽スタジオ。「ひたちなか市でサラリーマンだったんですよ。2000年夏に、生まれ育った実家のこの地に戻ってきまして。ここから通勤もしていたんです。」 その当時から脱サラを狙って? 「明確に考えていたわけじゃありません。実家に戻ったのは、漠然といつかは戻ってくる、と思っていたから。」 「いつかは両親も年をとってきて、そのときになって実家に戻るよりは、まだ元気なうちに戻ってきて、ここから通勤する訓練もしたい、と。」 そうするうちに「アナログ的(連続的)」に学生時代からの音楽への思い入れが高まってくる。 「徐々に比重が変わってきたんですね。」 2003年暮れに退職する。

 『作業場』が必要だと

 2004年。音楽の道で...という思いはあったものの「具体的に何をすればいいかな、と考えました。人前での演奏で生活を、とは考えていませんでしたし、ギターレッスンをやったところ生徒さんに辞められてしまう。どうやら特別な雰囲気、空間に期待する方もいるようで。それでとにかく『作業場』が必要だと思ったんですね。」 それは、ギター教室だけでなくバンドで音が出せるスタジオへと構想が広がっていった。自分のための作業場ではあっても、やはり大きな事業計画。スタート時点での見通しは? 「当時は転職本なんかも見ました。転職本には、仕事の始め方がキレイにフローチャートで載っているんですよね。けれど『ニーズ(マーケット)』は自分で調べるもの。」 「ネットで県北のバンドの情報も探しましたけれど、ネット上では見つからないことも多くて、どうしてもニーズの定量化ができなかったですね。」 「やっと最近ですね、ニーズが見えてきたのは。」

 大工さんと一緒に

 自ら自宅裏の木を切り倒すなどの気合の入れよう。予算と防音仕様を天秤にかけ、眠れぬ日々を過ごした末、専門業者ではなく、普通の工務店に依頼。 「もちろん建築家の方に防音仕様を伝え図面を描いてもらいましたよ。」 大工さん一人と共に自ら作業をする。2004年12月までに「第一期工事」を終え、さらに防音テスト。 「おー!!漏れまくってる!!外壁が振動でゆれまくってる!!」 大工さんにつきっきりでやったとはいえ、一般工法の違いという溝を埋めるのは難しい。で、「何dB下げるにはどうするか? エクセルで計算式を作って予備テストし、追加工事の構造と材料を図にして工務店へ提示しました。」 理系ならではの追求。防音仕様を高めて今年(2005年)4月にスタジオが完成。追加工事と平行してネットでも音楽関連の掲示板などへ書き込みをしてマーケティングも始める。

 で、現在。スタジオの稼動状況は? 「5月6月頃には口コミでポツポツと。7月8月にはネットから予約が入ってくるようになりました。」 ある程度活路が見出せるようになった、という。 「週末は埋まるようになってきたので、もう少し。もう少しで月の半分が埋まるようになるんですけど。」 いわゆる営業はフライヤー(チラシ)を水戸などのスタジオに置いてもらう。 「身近な大宮からじゃなくて、ドーナツ的に外から攻めています。」

 温泉、バーベキュー、宿泊

 「今の段階では、プライベートスタジオレベルです。ちょっと頑張ればサラリーマンでも個人で持てるようなレベルですね。将来的にプロユース(プロ用)に、という考えはありますが、いつのことやら(笑)」 あくまでも自分の意志、自分のペースでやっていく。 「この夏にも、2泊3日で録音にきたお客さんがいたんですけれど、録音に行き詰まったら近くの温泉に案内して、スタジオの外でバーベキュー、夜は使っていない祖父母の古い家(近くにはNHKのドラマのロケにも使用された景色が広がる)に泊めてあげて。」
 口コミやネットでの営業を主とし、「対外的には中立でいたい」「自然で嫌味がない、一期一会を大切にする庵のよう」なスタイルを目指しているが、同時に、常陸大宮市の自然に囲まれたスタジオは、街中のスタジオとは明確に差別化された「営業戦略」を自ずと備えている。「来年夏頃には、採算が取れるようになるんですけれどね。」 ウェブサイトのアクセスを分析したり、将来的なパターンも計算済み。

 畑の野菜食べて親戚から米もらってハードロック

 「赤字ですよ。でも、畑の野菜を食べて、親戚から米を安く譲ってもらって。」 ここだから食べていける、という。 「不安はもちろんあります。けれど楽しいですね。」 「うじうじ悩みながらサラリーマンやっても仕方ない。私のような人間は痛い目みないとわからない、だから、飛び込んでみた。」 とは言うものの、それは無謀な飛込みではなく、「ステップ」を意識して、計算のされた道筋。自身で練習を積み重ねてきたギターのレベルアップや、専門性の高い技術系のサラリーマン時代に培ったものが活かされている様子。

 「ある時、音楽通の人がスタジオ工事を見に来て、『中途半端な設備』『意味がない』と言われたことがあります。予算を考慮しながらもより良いスタジオをと考えて着工したところだったので正直へこみました。」 しかし、スタジオは環境・予算・形・コンセプトにおいて、同じものがなく一品一様。いくら入念に計画を建ててももくろみ通り行かないもの。それも「自分でやったからわかる。必要なのは計画以外にやる勇気。やらなければ技術情報をもとに頭の中で皮算用しているにすぎない。大事なのは今後、軌道にのせ、その人たちに証明してみせること。『無駄ではなかった』と!!」 ハードロックな心が、やはり土台にある。

 頭の中には次のステップが。ミキシングルームの拡張と、ボーカル専用のレコーディングブースを増築することをもくろんでいる(予定は未定)。ご両親の営むブルーベリー畑が来年の夏にまた実をつける頃には、地域にも「こんな仕事もあるんだな、と認識してもらう。」 生まれ育った地域の中で、自然に、けれど意志を持ち、まさに「音」を「楽しむ」作業場をつくり出している高村さんです。