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クリエイターというアウトサイダーな生き方


2001/11/13 VOL.2

有限会社メディコム 
川野 昌俊さん

川野 昌俊
Masatoshi Kawano

神奈川県出身。
昭和39年3月7日生まれのA型。
家族は奥様とお嬢さん2人の4人暮らし。
趣味は仕事。影響を受けた人物は高校の時の担任の先生。

●学歴
小・中学校で転校を繰り返し、そのうち1年は香港に暮らす。高校卒業後は1年間の放蕩生活の後、映像制作の専門学校へ入学。卒業後社会人になるのが嫌で、4年制の大学に進学。

●職歴
高校卒業後の1年間の放蕩生活で秋田に暮らした時は、あまりにも仕事がなく、ある飲食店の社長室に飛び込み、土下座して雇ってもらったのが最初の仕事。
その後東京に戻り、映像制作系の専門学校に入学し、授業もそこそこにTBSやCX(フジテレビ)でADのバイト。「ザ・ベストテン」や「青が散る」などバラエティーやドラマの仕事に携わる。
そして大学卒業後は一部上場の有名企業に就職したものの、若気の至りで1年で辞め、映像制作のプロダクションに入る。その後母校の大学で映像技術の授業を教えていた。
10年前独立し、(有)メディコム設立。社長は奥様で、川野さんは「彼女のご用聞き」らしい。


有限会社メディコム
Medi-Com

平成4年10月7日設立。
映像の制作会社としてスタートしたが、多様化するニーズに応えて、一般広告宣伝物企画制作・各種メディア媒体の制作からイベント企画運営までを手がける。
扱うメディアは多岐にわたり、映像媒体を始めインターネット媒体や印刷媒体・ラジオ媒体・水戸駅北口大型ビジョン「スーパーライザー」などにもコンテンツ提供。それらの代理店業務も行う。

メディコムへのお問合せ
medi-com@e-mail.fmpalulun.co.jp










派手だから選んだ

―映像がご専門ですね。映像の世界を選ばれた理由はなんですか?

一言でいえば、派手だから(笑) 若い頃っていうのは、みんな一時(いっとき)華やかな世界に憧れるもの。芸能界とか、映画とか、ファッションとか、Jリーグとかプロ野球でもそうでしょ。才能で勝負して、皆から注目されリッチになる。僕も同じ。そんな派手な世界が映像の世界にはあると思った。ただ、普通は途中で現実の厳しさに気づいて諦めたり、他の道を選んだりするけど、僕は幸か不幸か今でもそれを続けてる。

―プロファイルには、高校卒業後、1年間の放浪の後、映像の専門学校に入学とありますが。放浪の旅が川野さんをこの世界へ導いたのですか?

そんな格好いいものじゃない。高校は普通に卒業したから、そのままそのへんの大学に入れば、普通に良かったんだろうけど。まあ、今から思えばひねてたんだね。みんなと同じように学校に入って、普通にサラリーマンになって・・・そういうあらかじめ決められた道を進むのが、無性に嫌だった。


専門2年の夏、夢から覚めた

―専門学校に行っている間に、AD(アシスタントディレクター)のお仕事をされていたと聞きましたが。

そう、昼間専門学校に行って・・・あんまり真面目な生徒ではなかったけどね・・・授業が終わったらADのバイトって生活を2年間続けた。専門学校って手に職を付けて就職する為に行くとこでしょ。でも学校では、会社の紹介はしてくれても、就職はさせてはくれないから。学校に行っている間に自分でコネを作っておかなきゃ・・・そう本気で考えてた。学校の勉強なんか実際の仕事には何の役にもたたないし。学校に行くのは大切だけどね。自分も制作会社に入るつもりで、ADのバイトをしていた。

―テレビ局には挑戦しなかったのですか?

うん、そんな大それたことは考えてなかったよ。映像を勉強したからTBSに入れるっていうような世界じゃないしね。テレビ局っていうのは、経済学部とか法学部とかそいいう立派な人達ばかりの、エリート集団。制作会社と広告代理店をうまく使ってビジネスをする組織。官庁のキャリア組や大手商社なんかと似てるね。僕にはしょせん無理だったし、そういう風でもなかった。

―本当はテレビの仕事をし続けたかったんじゃないんですか?

そういう夢を見ていたことは確かにあった。でも実際にその現場で働いてみて、現実を思い知らされた。下請けの制作会社でそのまま仕事を続けていたら、テレビの世界にいられたと思うけど・・・それじゃやっぱりつまらないでしょ。所詮下請けっていうのは、上の言うなり、お金をたたかれ、ポリシー踏みにじられて、泣きながら妥協する世界。その中でずっと下っ端の仕事つづけるのはめちゃめちゃシンドイ。食ってくのだけでも大変だし、先々の見通しも????こりゃ僕には長くは続けられんな・・・って思ったのが専門2年の夏。「このままこの世界に入ったら取り返しつかなくなっちゃうぞ」と思いなおしたよ。テレビの世界って人の夢を食って存在している。夢を食い尽くしたら、ポイ。なんてネ・・・。

―それでも夢を追い続けている人達がいて、その中から明日のスターが生まれるのではないですか?

そうかもしれないけど。僕は夢から覚めた。こんな僕でも21才にもなると、いいかげん現実が見えてくる。「このまま卒業しちゃったら、一生下請制作会社で食うや食わず・・・家庭も持てず、うだつが上がらない人生、年金ももらえず、墓も買えない。」そう思ったら、サーっと、現実に引き戻されちゃった。それで、もう少し人生の選択肢を増やさなきゃマズイなぁ、と考えて、急遽大学受験することに決めた。でも半年しか時間が無くって勉強も中途半端なまま受験したんで、お約束どおり軒並み落ちた(笑) 15校ぐらい受けて、全部・・・でも2次募集でやっとひとつ引っかかって。「あ〜、オレ救われたな」って心底思ったよ。

華やかさを捨てきれなかったんだ    

―その時は普通のサラリーマンの人生に転向したんですか?

んー、そこまで考えてないよね。だって緊急避難だもの。21才の夏の俺には、人生の恐怖から逃れるので精一杯だった。サラリーマンになるかならないかなんて考える余裕は無かったね。実際問題恐かったんだ。

―選択肢が狭められるというのはそんなに怖いものなんでしょうか?

自分の人生はあと60年はある。その時点でまだ人生の4分の1しか生きてないわけ。それなのに先が決まっちゃうんだよ。それは怖い。何より怖い。だから、大学に入って、4年間時間が稼げるっていうのは自分にとってベストの選択だったと思う。親には心配かけるけどね。それがあったから、こうしてこの茨城という地に居場所が作れたんだし。

―大学を卒業されて一般企業に入られていますね。それを1年でお辞めになって、結局また映像制作のプロダクションに入られていますが、その時の動機は?

華やかさを捨てきれなかったんだ・・・うそ(笑)自分て人間は、つくづく人と同じようなことができない人間なんだって思った。でも決して無駄なことをしたとは思っていないよ。世界は広がったし人脈もできたし。何より自分を知ることができた。

 


―その後、母校の大学の講義補助を経て、独立。大学を卒業してから独立するまでが、3年という短い期間ですが、急がれた理由などあったら教えてください。

理由は複雑でね。自分の納得のいく環境じゃなかった。無駄な事をずるずる続けてもしょうがないかな、と。でも、見切りをつけるのが早すぎるって反省もしてる。「石の上にも3年」て言うじゃない。だから本質的なことは判っていないのかもしれないね.。でも、つまむだけでも、やらないよりはマシっていう考えもある。イメージだけ膨らませて、実際にやってみると思っていたのと違うじゃない、というようなことはこの世の常。なんでも現場で実際にやってみなけりゃ判らない。

―思いたったら、すぐ行動されるんですね。

若いころは確かにそうだった。体力もあったし、せっかちで、熱かったよね。今はだいぶ大人になっちゃった。

仕事は楽しくなきゃ

―会社を創業されたのが27才。ずいぶん若く起業されていますが、会社創業時のご苦労などあれば教えてください。

今でも苦労つづきで何が苦労で何が苦労じゃないかわからなくなっちゃった。創業から今までズーっと仕事がうまくいったことなんてないよね。そうじゃなかったらこんな格好してないよ。バリッとプラダのスーツかなんかに身を包んで登場だよ。

―会社は映像をつくる会社ですね。

映像会社なんだけど、それだけじゃない。根底には映像という基本があっても、それだけじゃ終わらない。どんな仕事でもそうだと思うけれど、自分が得意とするものに乗っていかなければ、道は開けないでしょ?だから一応看板は映像ということにしてある。

―少しわかりにくいのですが・・・どういうことですか?

「何が専門なんですか?」「何の仕事をしているんですか?」ってよく聞かれるんだけど、カテゴリーに入れられるのが嫌いなんだよ。別に専門が何かなんて決めなくたっていいじゃない。マルチでも。「何の仕事を振ってもらっても大丈夫」そういうスタンスでいきたいんだ。映像から離れても大丈夫。むしろそこから離れた仕事をドンドンしていきたい。そう思っている。

―御社の業務実績を見ると、映像やラジオやイベントなどやはりメディアのお仕事が多いと思われます。常に発信する側にいたいというようなお気持ちは強いのでしょうか?

そんな難しいこと、意識したり、考えたことは無いかな。要するに、仕事は楽しくなきゃ。嫌いな仕事を無理にしなくてもいいように独立したわけだし。嫌な仕事を続けていると人間腐っちゃう。それから、好きなこととは言っても、1人ぼっちでやるのは楽しくないから、人がたくさん関わる仕事をしている。それから、やったことのない仕事でもドンドンチャレンジする。だって、やれば覚えるし、それによって仕事の幅が広がるでしょ。だからこういうスタイルになった。単純にね。

クリエイターは僕の性にあってる

―自身がプロフェショナルであるという意識は持たれたことは無いのですか?職人的に極めていくとか、顧客満足を追求するとか。

僕は職人ではないのよ、もともと。「映像」というと、カメラマン的なイメージが先行しちゃうけど、僕はもともと畑が制作だから。クリエイターというのは自分のイメージを具現化していく仕事。プロではあるけど、技術的なものを追求するということでもないし、お客に合わせすぎて自分のイメージを捨てたら、それこそ商売にならない。良いイメージを作って形にするっていうのが仕事だからね。

―クリエイターという仕事のどこに最も魅力を感じますか?

無から有を創り出すところ。創造性かな。それに加えて、この仕事には終わりがあるっていうこと。一つのプロジェクトが終われば、きれいさっぱりそこで終わってしまう。本当に終わってしまうんだ。製造業みたいにあとから製品クレームが付くわけでもない。メンテが必要なわけでもない。だから、プロジェクトが終了したら完結。そこで終わり。そんな刹那的で打ち上げ花火のようなところもあってるのかな。

―単発のプロジェクトの魅力は?

仕事が始まったら、必要とする人材をかき集めて、プロジェクトが終わったら解散。それぞれ別な仕事に散っていく。それが一番効率がいいし、人の力を一番発揮させることができる。適切な人を、適切な場所に持っていって動かしていく。人の才能のコーディネイション。最高のチームで最高の仕事をする。

クリエイションは、頼む側とやる側の共同作業

―川野さんは、カメラマンはやらないのですか?

生活のために、必要に迫られてやってる。それは冗談だけど(笑)現場を仕切るときには、その仕事の技術的な知識とか経験がないと指示できないし、うまくまとめられない。そのために技術の経験を積んでいるというとこはあるね。

―詳しく教えてください。

技術の基本やトレンドを知らないと、まかせっきりになってしまう。結果がでなかったとき文句も言えないでしょ。そうするとぞんざいな仕事になっていく。クリエイションていうのは仕事として成立している以上、頼む側とやる側の共同作業なんだ。たとえば、「こういう絵を撮って」って頼んでカメラマンがダサい絵を撮ったとき、こういう角度で、こういうレンズで、こういう露出で、こういう効果でやればとれるだろってやらないと適当にかまされちゃんだよ。誰でも面倒なことってやりたがらないからね。自分が流れを作ってきちっとやらないといい結果は出せない。

―そういった仕事の仕方は、疲れませんか?ずいぶんパワーがいるでしょうね。

パワーっていうか・・・・性分なんだね。同じことを淡々と続けられない。変化がないと、硬直しちゃうんだよね。常に何かをやっていたい。何かを考えていたい。そんな衝動に駆られる。

―そういう意味では天職のようなお仕事につかれたと言えますね。

まぁ、マトモじゃないんだよね。組織の歯車になりきれないし、順応できない。大人じゃないんだね。

自分の場所を探せ!

―ご自身で組織を作って頂点に立つっていうのは考えられないのですか?

だめだめ。できないよ。僕今も社長じゃないもん。お金の事考えたくないし、考えたらやってらんないでしょ。これで、いくら儲けて・・・って考えたらできない。ここまでやっちゃったら損する、とか思っちゃうでしょう?コストパフォーマンスとクオリティは相反するんだ。コストを考えれば妥協しなきゃならない。

―大変独自の人生観と独特な仕事のスタンスをお持ちなので、後輩達にアドバイスっていうのも何なんですが。もしあれば教えてください。やっぱり「自分の道は自分で探しな」ってところですかね。

あえて僕の仕事を分類するとすれば、クリエイティブ職っていうことになるんだろうけど。クリエイティブであるって言うことは、自分に妥協しないってコトに等しいから、アドバイスって言っても難しいね.それを貫くことで人生失敗することもあるし、無責任なことは言えない。

―ではクリエイティブであるにはどうしたらいいか教えてください。

上から課せられた仕事でも、自分で考え、自分のやり方でこなしていけば、それがクリエイティブって言えるんじゃないかな。ハートを売り渡すなってこと。金とかしがらみとかのために、自分を悪魔に売るなってこと。何か新しいやり方をしようとする時には、そこにある古いものを壊さなくちゃ、前に進めない。だから、クリエイティブ職であろうと、自営業であろうと、サラリーマンであろうと、クリエイティブであるっていう生き方は変わらない。今の時代、上がみんな総倒れなんだから、そんなやつらの言うこと聞いててもしょうがないって言うのはサルでもわかる。クリエイティブでなけりゃ二十一世紀生き残れないっていうことは言えるんじゃないかな。

―就職活動中の方に・・・・というか、自分の人生を探している人々にメッセージをお願いします。

自分が居心地の良い場所、というか自然にいられる場所を探せばいいと思う。必ず見つかるから。 面接に行ってみて、うまく自分がだせなかった、うまく話ができなかったところっていうのは結局相性が悪いんだよ。自分を生かせる場所を見つけて欲しいと思う。人生の成功を世間の尺度で考えることだけは止めなくちゃならない。自分の力で、自分の価値観で自分の生きる場所を探し続ける・・・その先にあなたの未来がある。ナンテネ。

インタビューを終えて

どんなコメントを書いても、怒られてしまうような気がするので、気がひけるのですが、誤解を恐れずに言ってしまえば、川野さんの生き方はアウトサイダーであります。
「アウトサイダーってなんだよ。」て言われると、困ってしまうのですが、一言で言えばアウトサイダーは不良であります。不良とはルールを守らない人のことです。あるいはルールを壊す人のことです。
アウトサイダーな生き方とは意識してルールを破り続ける生き方であります。 カテゴリー(決めつけ)を拒否して、システム(しくみ)の束縛から逃げ続けるというのがアウトサイダーな生き方であります。
システムの奴隷にならず、かといって自分でシステムを作って人に押し付けることはせず、常に自由に、自分の生きるべき道を生きる。 「生きるために生きる」「妥協とは死を意味する」「やりたくなきゃやらなきゃいい」こういうのはやっぱアウトサイダーです。カッコイイです。カッコイイは難しいのです。そしてとてもしんどいんです。
インタビューを読まれて気づいた方もいると思いますが、川野さんはインタビュアーが話をまとめようとしたり、先入観でものを言ったりしたりすると、必ずそれにノーと言ってます。(言いまわしはそれぞれ違いますが)ここに彼の本質があるような気がしました。
システムやカテゴリーは権威によって裏付けられています。本当の世界はフラットで意味のヒエラルキーなど無いのです。あらゆる世界観、思想、価値は権威が支えている。そして20世紀的な権威が価値を失いつつあるこの時代において、彼のような生き方は大いなる正解、生き残るための正攻法なのかもしれません。そしてそこには潔いものだけがもつ美しさがあると思いませんか? 今の時代何かを生み出す、新しい価値を作り出す人間ていうのは皆こういったアウトサイダーなファクターを持っているのでないか?ジョビジョバとしては「処方箋注意、でも21世紀的にブラボー」と言いたい。ゴッド ブレス ユー!