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人形劇で表現できる新たな世界を作りたい


2002/1/8 VOL.5

人形劇団木偶 
田中 光昭さん

田中 光昭 
Mitsuaki Tanaka

茨城県出身。
昭和26
年3月22日生まれのO型。
奥様、お嬢さん、息子さんの4人家族。趣味は映画鑑賞、パソコン、人形劇。ご自身の性格を一言で言うと、「何かにはまると夢中になる」タイプだそう。
影響を受けた人物は、野口三千三氏・林竹二氏。


●学歴
水戸市立三の丸小学校〜水戸市立第二中学校〜茨城県立緑岡高等学校卒業

●職歴
高校卒業と同時に人形劇団プーク入団〜人形劇団木偶設立


人形劇団木偶
Puppet play team ”DECU”

1977年11月設立。
人形劇上演・人形製作
たった一人の劇団で、脚本演出美術音楽すべて手作り。これらを舞台の中から操作する。1977年に「放送文化基金賞」を受賞し、講師やCGキャラクターの操作など、その活動は多岐にわたっている。

●主な出演作品
NHK「ネットワークベービー」「天才てれびくん」「英語で遊ぼう」「ドリームス」「ぴょん太の安全日記」「ひとりでできるもん」エノケン・カマドーラの繰演
フジTV「デジタルチャット」「トッポジージョ」「納涼発明大学」など

リリー保育福祉専門学校講師、日本人形劇人協会常任理事、UNIMA(国際人形劇連盟)会員、財団法人「舞台芸術財団演劇人会議」メンバー。
茨城県人形劇協議会事務局として茨城県内の人形劇関係者と連絡普及をはかっている。

人形劇団木偶URL
http://plaza23.mbn.or.jp/
~ningyogekideku/

E-mail:decu3102@da.mbn.or.jp



「金のおの、銀のおの」がすべての始まり

―人形劇をはじめたきっかけを教えてください。

初めて人形劇を見たのは、小学1年生の夏休み、子供会で人形劇を指導してくれる人がいて、興味を持ちました。 2年生になって、学芸会の出し物として人形劇を提案したんです。それが実現して・・・演目は当時の教科書に載っていた「金のおの、銀のおの」だったかな。それがすべての始まりです。
高学年になった時は学校にクラブを作ってもらうほどにのめりこんでいました。

―栴檀は双葉より芳しですね。その後は人形劇にどのように取り組まれたんですか?

中学時代はスポーツ少年で、一度人形の世界から離れたんです。 でも、高校に入学して、やっぱり人形劇を忘れられず、また自分でクラブを作りました。 最初は演劇部にいたんだけど、なんかピンとくるものがなくて、人形劇の同好会を作ったんです。 同好会をクラブに昇格させるためには、実績が必要だったので結構な数の作品を作って上演しました。 それで高校3年の時、めでたくクラブになりました。

―卒業後、すぐに劇団に入られていますね。

その頃、たまたま人形劇の本を買ったんですが、なんと人形劇で飯を食っている人たちがいる。 僕は単純ですから、夏休みにその劇団を訪ねて、入団することになったんです。

―高校は進学校ですね。卒業後の進路が劇団というのはかなりユニークでしょう。

その頃は、高校が創立間もなくて、先生達も若く、学校内の活動も自由だったんです。 進路が決まったときは誰よりも先生達が喜んでくれてね。 理解のあるいい学校でした。

―なぜ人形遣いにそれほどまでに惹かれたのでしょうか?

人に聞かれるとよく言うんですけども、今の自分は「出会いの積み重ね」の結果だと思うんです。 何度もやめる機会はあったのだけれど、結果こうなってしまったのは運命なのかも知れませんね。

1人の芝居でも、おもしろさは変わらない

―最初に入団した「人形劇団プーク」というのは、どういう劇団でしたか?

昭和初期からある、日本で一番大きくて歴史が長い人形劇団ですね。

―そこから独立して「人形劇団木偶」を設立されて。一人でやろうと思ったきっかけは?

「木偶」をつくる前には、日本はもちろん、ヨーロッパを6カ国ほど回ったりして、とにかく沢山の人形劇を見ました。 その中でも、伝統人形劇のなかで1人で人形を2体持って、声を使い分けて何役もこなすようなスタイルに惹かれました。
芝居として、1人でどれだけ見せることができるか、という勝負をしてみたかったんですね。

―一人で活動するのは大変ではありませんか?

一人になったおかげで、逆にさまざまなチャレンジが可能になりました。 今は学校の先生もしていますし、コンピュータグラフィックを使って、テレビの仕事もするようになりました。劇団に所属していたらなかなかこういった自由は難しいでしょう。

―少人数の組織は経営的にもメリットがありますか?

そうですね。組織運営には基本的にコストがかかります。 だけど1時間程度のお芝居なら、1人、2人でやるお芝居でも、20人、30人の大人数でやるお芝居でも、 おもしろさは変わらないんですよ。勝負は規模ではなく内容の質ですから。組織運営に労力を割かれたくなかった。

―人形劇の一番の魅力はなんでしょうか?

当たり前のことですが、観客に喜んでもらうことです。
僕の場合はお客さんが子供なので、お芝居がつまらなければ、子供は飽きて跳ね回っちゃいます。子供は正直だから、反応がダイレクトなんです。 それを最後まで夢中になって見てくれている姿は、やりがいに繋がりますよね。

―どういったところで上演するのですか?

幼稚園、保育園、小学校、図書館とか公民館、そういうところですね。子供達の集まる様々な場所です。 保育園に入っている2〜3歳から小学校の中学年ぐらいまでがターゲットです。

―ストーリーメイクも、田中さんのお仕事ですか?

脚本も音楽も自作、舞台装置も衣装も全部ハンドメイドです。演出から、演技、大道具、照明すべて一人でやります。 自分で運転もして(笑)チラシをパソコンで作ったりもします。

―幼児教育の視点もストーリーには重要な要素ですか?

教育というより、世界観が重要と考えています。
例えば「ネズミのすもう」というお話があります。 ここでは、ネズミの目から見たさまざまな出来事を描いていくんですが、これを観ることによって、子供たちはネズミの目という新しい世界の見方を自然に体得できるんです。
世界は多面的で、多義的であるということが当たり前の事実として理解できるようになるというのは重要です。

“人形劇的表現”が必要なものなら、なんでも仕事

―ところでお仕事は、どこかのエイジェントのようなところからくるのですか?

今のところ紹介や口コミが大半ですね。今年初めて販促用のチラシを作りました。昨年、小学校4年生に人形劇を見せる機会があって、そこでとてもいい反応が返ってきたんです。そこで今年は県内のすべての小学校にチラシを発送してみようと思っています。

―お部屋に随分パソコンが並んでいますが、パソコンは人形劇のお仕事に不可欠なものなのでしょうか?

僕の場合音楽もパソコンで作りますし、顧客管理もパソコンでします。作曲をきっかけに15年以上パソコンを使っているので、仲のよいパートナーといった感じです。楽器のできない僕に音楽の可能性を与えてくれたのがパソコンだったんです。人類が石ころや棒きれを道具として使い始め、そのもっとも新しい形態の道具がコンピューターだと考えています。私のような超零細企業にとって時間の短縮化や創造のためのツールとして不可欠なモノになっています。

―それが、今ではコンピュータグラフィックの人形劇まで発展して。

人形劇的表現"が必要なものなら、なんでも仕事に結び付けています。 CGだって、人形劇的な表現だと思うので。

―コンピュータグラフィックスでキャラクターを操作するというのは、どういう効果があるんですか?

繊細なやわらかい動きが出ます。それとリアルタイムに動くから、昔はプログラムで動きを全部一枚一枚シーンごと録画していくためにすごく時間がかかったんですけど、 瞬時に動いて見えるから、演出しやすいですよね。

―テレビ局でもお仕事されているんですよね。

そうですね。東京と茨城を行ったりきたりです。明日も「ひとりでできるもん」の収録があります。

食えればいいと居直れば、どんな仕事でもできる

―お仕事で難しいと感じる所はありますか?

漠然としたイメージを作品という形に変えていく過程が難しいですね。作品は作りつづけていくうちに、だんだん全貌が見えてくるもので、 途中経過では暗中模索なんですよ。その過程が苦しく難しいです。
でも自分の中にある、何かにかかっている靄のようなものを取り去って、少しずつ形をくっきり浮かび上がらせていく作業は楽しくもあります。

―既成の童話を、脚色して演じることは多くないのですか?

童話からも引用しますが、それはモチーフ(主題)としてであって、すべてではありません。すでにあるものから自分の描きたい世界をどこに見つけるか?それができてこないと作品になりません。だから僕のお芝居には、原作どおりっていう作品がないんです。

―田中さんのように、自分の好きなジャンルを仕事として成り立たせるにはどういう努力が必要でしょうか?

どんな職業でも言えることですが、自分の夢とか希望を具体的に形にしていくためにどうすべきか考え続け、なおかつそれを社会的に成立させるためにすべきことを同時に追求していけば必ず夢は叶うと思います。そして、そう信じることです。
幸いなことに、アフガンと違って日本は今戦争がないし、仕事だって選ばなければ色々ある。 これはとても幸せなことだと認識しなければならない。何をやってても、食ってはいけるんだから、好きなことで成功して贅沢したいなんてことにこだわっていたら、何もできないわけです。
なにが自分にとって大切なのか?リッチになることなのか?自分の好きなことをすることなのか?自分の夢の実現に焦点を置いて、食えればいいと居直れれば、どんな仕事でもできるというものです。「自分の夢」とか「自分の与えられた役割りを実現するための仕事」に出会うというのが、ますます大切な世の中になってきそうです。
その点僕が幸せだったのは、何も悩まず、好きなことを選択できる環境があったということでしょうか。人生の設計図を緻密に描いていたら、こうはならなかったでしょう。

―今は、なかなか自分のやりたいことが見つからないという悩みを持つ人が多いですね。

それは、「幸せすぎる不幸」の典型。今の日本の若者は、お金を出せば何でも手に入る高度に発展した自由主義経済の社会に住んでいて、自分の家に居れば、まず、衣食住には困らない。 これは飢えで苦しんでいる世界の子供たちに比べれば非常に幸せなわけです。
でも、楽だからその「家庭」に安住してしまって、外の世界に出て行かないし、免疫がない。対社会とか、対他人とかの関係性が浅薄で単純で、できれば自分が安心して我儘に暮らせる世界がいい、と思ってる。
それから、必要なものはすで何でもあるので、皆でものを作りあげるいう経験が無い。物質的幸せが、精神的未熟さを生み、それが不幸につながっている。 そんな気がします。

―ではどうしたらやりたいことが見つかるのでしょう。

やりたいことは、自分で勝ち取るもので、誰かが与えてくれるものではないということをまず知らなくてはなりません。その次に自分の意思で自分の責任でことを進めるのだから、 そこにはリスクがあるということも覚悟しなくてはならない。出来る限り早く自立して、自分の意志で歩いていほしいと思います。親に甘えない。そうすればなんでも出来るようになると思う。

―身近に自分のやりたいこと目指している人たちの例はありますか?

僕は、リリー保育福祉専門学校で幼児教育者を目指している生徒達に教えているのだけれど、彼らには幼児教育を目指そうという動機にそれぞれ原点がある。たとえば、子供が好きだとか、経験や出会いを通して仕事に憧れをもったなどという原点。それがあるだけ、彼らは幸せだと僕は思うね。

人形劇を見ている子供の笑顔を見るのが好き

―独立されてから、今年で25年ですが、その間日本の子供達に変化はありましたか?

子供の生きる、社会環境は大きく変わりました。メディアが進化したせいでしょうか、4歳位で、もうある程度の社会性を身に付けます。 そして、親やテレビから、大量の言葉で身の回りのものを全部説明されているから、言葉で聞いたものにしか反応できなくなってきている。目に見えないことを全体から感じ取ることのできない子供が、随分出てきていますね。

―それはたとえばどういうことですか?

神秘的な気配を感じるとか、たとえば神様や鬼がいるとかですね。木が風で揺れる・・・そこに命を感じとるとか。そういう感受性や情緒が無くなりつつある気がするんです。
人工的な部屋の中にいて、人工的なテレビ見て、自然に触れ合わないから、 世界に対する感受性が鈍くなっているような気がしますね。

―田中さん自身のこれからの夢は何でしょう?

人形劇で表現できる、新たな世界を作りたい。・・・でもまだはっきり見えてないんです。

―子供達に向けた、新たな世界ですか?

そうです、僕の表現対象は明確に子供達です。 どういうわけか昔から子供が好きで、その子供達に、「ある世界」を伝えたい・・・という思いがずっとあって。
人形劇が好きで続けていると、自分でも思ってたんですが、そうじゃないということに最近気がついたんです。
僕は、人形劇を見ている子供達の笑顔を見るのが好きだから、 人形劇をやっているんです。

インタビューを終えて

田中さんのお話を聞いて思い出したのは、まず、「ピノキオ」そして映画「AI」。
ゼペットじいさんは人形に命を吹き込み、ピノキオを本当の人間にしてしまった。 そこにブルーフェアリーという女神が関与する。この話を未来世界に翻訳してキューブリックがロボットの話に昇華させた。
次に「マルコビッチの穴」という映画、ジョン・キューザック演じる食えない人形遣いが、おかしな会社に入社して、そこでマルコビッチの脳の中にはいりこむ不思議な穴を発見する。最後はマルコビッチ自身がその穴に入り、世界はマルコビッチだらけになる現代のおとぎ話、現代のアリス。
最後に「もののけ姫」。狼とともにくらす少女が、人間と戦う。そこにしし神という神様が登場する。人間は神を殺し、神はその存在を遍在させる。

田中さんは、選ばれた表現者であり、私たちの見えない世界を明らかにする役割りをもって生まれてきた人ではないか・・そう私は感じました。このインタビューは仕事がどうのこうのとか、能力と職業のマッチングとかいうレベルの話 ではなくもっと神秘的で奥の深い話です。仕事の選択などは表層の現象に過ぎない。
世界との関係性が今よりも豊かだった時代、 神々がいて、豊かな物語が合って、人間はもっと謙虚で、協力し合って生きていた。ウオルトディズニーが、キューブリックが、マルコビッチが、宮崎駿が、私たちに提示しようとした豊かで力強い世界を彼も追いかけ、それを伝えようとしている。生きる力を子供たちに与えるために。癒しではなく生命そのものを与えるために。
身近にこんな表現者がいることの幸せを私たちは噛みしめなければなりません。
願わくば大人のための人形劇を私たちに見せてください。