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今を精一杯生きるために選んだのは
フリーランサーという働き方
2003/5/1 VOL.19
茨城王 -イバラキング- 運営 青木智也さん


青木 智也
Tomoya Aoki

茨城県結城郡石下町出身。
1973年1月2日生まれ。O型。
趣味は、ホームページ作成、ラーメン食べ歩き、飲み会、音楽鑑賞&CD収集、格闘技観戦。影響を受けた人物は、船井幸雄、アントニオ猪木。自分の性格を一言でいうと、「やると決めたらとことんやる」とのこと。

■学歴
下妻一高卒〜明治学院大学社会学部卒

■職歴
1996年に株式会社オービックビジネスコンサルタント入社。1年半で退職し、独立のため茨城へUターン。フリーランサーに。

■お仕事の紹介
パソコン操作指導、ホームページ制作から雑誌・Web・メルマガへの記事執筆まで、カタチにこだわらず興味があれば何でもやるというスタンスです。
⇒お問合せ:aoki@ibaraking.com


茨城王−イバラキング−
http://www.ibaraking.com

茨城人および全世界の茨城ファンのための情報発信&コミュニケーションの場。茨城に対する世間の偏った認識を正すと共に、茨城県と茨城県民の地位向上を目指す。

 


 同じ日本でも東京と茨城は違う世界だ 

―「茨城王−イバラキング」は、各メディアに取り上げられる人気サイトですが、青木さんが「茨城王」を作ったきっかけを教えてください。

大学を卒業後、横浜で就職したのですが、サラリーマンの時はとにかく忙しかったんですよ。時間がいつもなくて、営業成績の数字に追われる毎日で。自分のためにやっているはずの仕事なのに、いつしか会社のために動くマシーンのようになっていることに気づきました。そういう生活を変えるために転職しても、組織に入れば二の舞になる可能性が高い。だったら独立して組織の外で働こうと考えました。
それで、茨城の実家に戻ってきたんです。それまでの仕事がパソコン関係の会社の営業でコンピューターに慣れていたこともあり、インターネットを使ってビジネスがしたいと漠然とイメージしていました。それなら自分のサイトぐらい作っておいた方がいいだろう、と思って始めたのが、「茨城王」の前形である「Sm@rtStyle」というサイトです。

―「茨城王」のコンセプトは、"茨城県と茨城県民の地位向上を目指しての、情報発信とコミュニケーションの場"・・・とのことですが、なぜこのようなテーマを選んだのですか?

ずっと僕は「同じ日本でも東京と茨城は違う世界だ」と感じていました。時間の流れも、考え方も、文化や習慣をクローズアップしていくと、違うところがたくさんあるんですよ。だから、両方を客観的に見比べてみるとおもしろいんじゃないか、と思ったんです。
それで何気なく、茨城弁をサイトで取り上げてみたところ、予想以上の反応がありました。実は、それが僕には意外でしたね。地元の人は普段使っている言葉だから、関心がないだろうと思ったら、面白がってくれる人が圧倒的に多い。
この切り口は使えるな、だったらどんどん茨城に特化したら面白いかな、と思って、少しずつコンテンツを増やして今の形になったんです。

―私は個人的に「茨城のヤンキー」が好きなのですが、ああいった茨城のおもしろネタは、ご自分で考えたんですか?

基本的に元ネタは自分で考えますね。それを公開すると、それに対して投稿がきて、内容が増えていくんですよ。だから元ネタさえ面白ければ、あとは自分で何かしなくても、自動的にどんどん広がってくれるんです。ユーザーの方からの投稿やメールの中にも、この切り口がおもしろいなと思うものがあれば、それを膨らませて形にしたりします。

 茨城で一番になってやる、という野望 

―現在のアクセス数は?

今は一日に平均800です。

―地元ネタに特化した個人サイトとしてみると、多いアクセス数ですよね。

僕は、「ホームページを持つんだったら、茨城で一番になってやる」という野望があったんですよ。個人でもこれだけできるんだぞ、というのをみせたかったので、アクセス数に関しては意識的に伸ばす努力をしましたね。メッセージをもらったら早めに返事をするとか、まめな更新を心がけたりもしましたけど、何よりも大切なのはコンテンツ(内容)ですね。人は感動するとそれを周りの人に伝えたくなってしまう。だから、おもしろければ必ず口コミが起こります。逆に、おもしろくなかったら、また見に来てもらうのは難しい。
やはりユーザーは地元の人が圧倒的に多いですが、昔茨城に住んでいたという人は懐かしくなるようで、結構熱狂的ですね。帰りたくなりました、というメールをよくもらいます。
影響が大きかったのは、Yahoo!に登録されてからですが、それでも100件超えるのは難しかった。それが一気にアクセスが上がったのは、メディアに取り上げられてからです。

―今までどういう媒体に取り上げられましたか?

ある個人のニュースサイトに取り上げられたのが最初で、あとはプロバイダーniftyのホームページコンテストに軽い気持ちで応募したら入選していて、そこでもアクセスが増えました。紙媒体では、読売新聞の茨城版や常陽ウィークリーなどにも、紹介してもらいました。特に読売新聞に掲載されたときの反響はすさまじく、アクセスが倍増しましたね。

―媒体に取り上げてもらうために、何か働きかけはしていますか?

していないですね。働きかけよりも内容を充実させることが大切です。その結果、媒体の担当者の方から、「サイトのファンだったんです」と言って頂くことが多いです。



 交通事故に遭って、人生観が変化 

―「茨城王」を運営していて、お仕事につながったという例はありますか?

「AG」という茨城の中古自動車専門の雑誌や、「ホットスパー」のメルマガに記事を書いたり、他にもWebや、県庁の社内報に文章を書くなど、ライターとしての仕事をいくつか頂いています。いずれ自分の本が出版できればいいなというのが今の夢です。
でも茨城王は、どちらかといえば企業向けじゃなくて、個人の人が楽しむ為のホームページなので、企業やオーナーの方に「仕事ください」のアピールという部分では、弱いですけどね(笑)

―ライターの他には、どんなお仕事を?

フリーランサーとして、ホームページ制作やパソコンインストラクターなど、お話があればこだわらずに何でも請け負っています。

―フリーランサーとして働くという、企業の枠にとらわれない働き方を選択したわけですが、不安はありませんでしたか?

それはありますよ。個人の仕事ですからね。極端な話、来月からの仕事がなくなる可能性もある。でも、悩んでいても現状から脱せるわけではありません。だったら、「今」に集中しよう、常にベストを尽くそう、と考えるようになりました。楽しんで精一杯仕事をした結果、いいものができ、お金は後からついてくるものだと思っています。
でも僕がそう考えるようになったのは、交通事故で死にそうになったことがきっかけです。人間いつ死ぬかわからないということを、身にしみて実感したんですね。

―事故に遭ったことで、人生観が変化したんですね。

完全に変わりました。私もそうだったんですが、日本人って、「今こうしておけば、将来は良いことが待っている」と思って、不満や辛いことがあっても、無理して我慢し続ける人が多いじゃないですか。でも僕は将来を思えばこそ、後悔したくないからこそ、今を精一杯生きるために、興味のあることを徹底してやれるフリーランサーという働き方を続けていこうと思っています。

―では最後に、青木さんはこれから茨城をどんなふうに変えていきたいと思いますか?

実は高校生ぐらいまで、茨城の閉鎖的でしがらみがある、田舎くさいところが嫌いだったんですよ。でも離れてみたら、茨城弁は味があっておもしろいし、田舎は田舎でそれもいいんじゃないかと思うようになりました。自然やのどかさなどの茨城の良い所は残しつつ、発展すべき所は積極的に発展させるのが一番良いのではないかと思います。
ビジネスに関してもインターネットを使えば、情報は東京と対等に入手できます。企業が情報を握っているのではなく、個人が情報を発信する時代なので、東京にいなくてもいいや、って思うんです。茨城みたいに環境のいい所で普段の生活をして、必要とあれば東京に出向く。その方が逆に格好良いと思いませんか?
これからはそんなスタイルを、率先して僕が提案していきたいと思います。

 

 









 

 

 

 




 

 


インタビューを終えて

「茨城王」は、茨城のダサイところを取り上げ、風刺をきかせつつも、「だけど茨城ってやっぱり好きなんだよなぁ」という管理人の青木さんの愛情が伝わってくるサイトです。一体どんな方が作っているんだろう、と楽しみにしていた編集部にはるばる(結城郡からひたちなか市まで!)やって来てくれたのは、爽やかな好青年。
自分の人生観について、茨城の未来について、サイトについて・・・一つ一つの質問に真剣に、でもとても楽しそうに答えてくれた姿が印象的でした。この、青木さんの「何事も楽しむ」というスタイルが、茨城の人気サイト「茨城王」を生み出したのでしょう。
同じ茨城のサイトとして、ジョビジョバも負けないようにがんばりますね!(モリ)