うちの両親が31年前・・・
―このお店をはじめたきっかけは?
・・・うちの両親が31年前、日立で・・・今の1/3くらいの広さの店でした。父がちょっと怪我をして、転職を余儀なくされたのがきっかけでした。
―ご両親の後をそのまま継いだと?
あの・・・ぜんぜんそういう気なかったんです。 僕は広告作るんだっていって、広告屋さんしかいくつもりなかったんです。
高校から専門学校、マスコミ系の専門学校に行って、それから広告会社に入って、1年ぐらいして・・・そしたら過労で倒れて・・・で、チョッと考えて・・・
ていうのは、ホント、昼間撮影して、夜編集して、でそのままガ〜って打ち上げやってチョッと寝てまた次の日やって。気が付いたら体が限界だったんです。
いきなり発砲してきますから
―それでお仕事をやめてアメリカへ?
そのきっかけか・・・たまたま海外にロケ隊が出てて、帰ってきたら外人の女の子たちと友達になって連れてきてるのを、僕もいっしょになって遊んだりしていて、で、何人かと話していると、結構話が通じる。そんならば・・・オレも行っちゃおうって。それで辞めちゃって、結局学生になって、それで行っちゃんたんです。
―ご両親の反対は?
あ、もうぜんぜん好きなことやらしてくれたんです。
その当時、両親はこれは一代で終わる仕事だと考えていたと思います。
―ではアメリカの大学を選択したときにはそこで成功する、やっていくという気で?
いや、もうその時には、なんだろう、もうこのままアメリカにいたらば、どこで野垂れ死ぬかわかんないって。もうすぐその辺で撃たれちゃうから。ものすごく白人の・・・白人・黒人・アジア系もいますけど、黒人の悪い奴は、悪いって言っても大した事してないんです。でも白人の悪い奴は、いきなり発砲してきますから。怖〜いこの国、と思って。生活するのに。
だから卒業するころには、もう日本に帰るぞって気持ちだったです。
イギリスは・・・住みつづけても良いような
―で日本に帰ってこられて・・・
オーディオ関系で音楽とかオーディオが好きだったんで。で、そこが良いよっていう所に入って。
中途採用ってかたちで。で、入ったのが国際営業部ってところで。
ちょうど車の・・・ボルボとかBMW、ジャガー、ベンツとかそういうところにカーオーディオをOEM供給していくっていう。
―アメリカの大学生活の語学力なども活かして?
そこで仕事をしていくうちに、こっち行ってこいだとか、あっち行ってこいだとか。イギリスは良かったです。実際に住んだのは5年間でしたが、もっと住み続けてもいいような。そうですね。
・・・多分そのままいたらば、またアメリカに転勤になっていたかもしれない。そういう生活もあったかもしれない。
―で、また日本に戻ってこられた後、さらにご実家を継いだ。
イギリスへの出向期間が終わって、帰ってこいといわれたときに、ちょうど日本側の受け皿がすごく弱々しく見えちゃったんですよね。なんかもう少し気合入れなくちゃだめだ、と。俺が帰って何とかするぞって。で、帰ってきてみたら弱々しく映って見えていたのが、彼らも精一杯やっている。僕が行っても精一杯だった。
その当時、親父の体調がよろしくないって言われて…今はぴんぴんしてるんだけど。で、それは行かなきゃまずいと思って、で申し訳ないけど辞めますって言って。
「オメー!笑ってんじゃねー」って
―ご実家を継ぐのは、不本意で?
いや、そういうことはないです。家族の・・・あの、一生懸命なんでもやってますから、うちの両親も。そういうなかで、僕がこういう事したいって言うのも、一生懸命させてくれた。それに対しては恩義を感じてるっていうか、そういうのはありますね。
―ご自身では満足してる、と?
両親はもっと一生懸命やって欲しい、と思ってるでしょうね。
あと、顔つきが笑い顔なんですよね。ものすごくのどかって言うか、何してても、周りから余裕あるようにみられる。本人はシャカリキになってるのに、「いいな余裕があって」ってよく言われることがあります。アルパインの時なんか、ものすごく真剣な会議中にいきなり「オメー!笑ってんじゃねー」って。「いや、笑ってないですよ」って。
だから、そういう意味では、なんていうんですか、福の神がついてるような。
いたるところについてるようなところはあるかもしれません。
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