午前中は工場で働いて、午後はサッカーをやるみたいな・・・
―サッカーを始めたきっかけというのは?
近所でサッカースクールをやってて、野球よりもサッカーの方が多少なりとも上手くできたので、たまたま入っただけなんです。やってくうちにだんだん面白さがわかってきた感じですね。
―学校の部活には入らず、クラブチーム(アセノスポーツクラブ・守谷市)でサッカーを続けてらしたということですが・・・
はい。ずっと教わってきたコーチがいたので、その人についていった感じです。今、考えれば高校でサッカーをやっとけば良かったなって思うし、しっかり練習ができない環境だったし、もっといい選択はあったと思いますがね。柏レイソルとかヴェルディのセレクションとかで受かってたんですが、何で行かなかったのかなって思いますね。
―その頃はまだ、日本でプロのサッカー選手になるという夢は、現実的ではなかった時代だったと思うのですが、小さい頃から、プロサッカー選手になるという気持ちはあったのですか?
サッカーを始めた小学校1年ぐらいから、ずっと思ってましたね。まずトレセンに入るのがずっと夢で、それからプロになるって思ってて、なれるとも思ってたし、それしかないなという感じで。今考えれば何でなれると思ったのか分かりませんが。
―トレセン(※)にも登録されていたのですか?
はい。でも、別にエリートでもなく、いろんなチームからオファーが来たわけでもなく、合宿でも川口(※川口能活選手:ノアシャラン=デンマーク)とか山田(※山田暢久選手:浦和レッズ)とかと一緒にやっていたんですけれど、全然そういうレベルでもなく、全く違う世界としてただ一緒に合宿をやっていたというだけなんですけれども。そんな中でも、小さい頃からプロになりたいとずっと思っていたんで、気持ちはずっと持ち続けていました。
―高校卒業以降の活動は?
卒業してトステムに働きながら、会社員として午前中は工場で働いて、午後はサッカーをやるみたいな、そこでJリーグを目指していたんですが、県リーグというJリーグはほど遠いところで、ずっとサッカーをやっていたんです。
(※トレセン:日本におけるユース年代(小学生から高校生まで)の強化・育成のための中心的な施策として1980年から本格的な活動が開始さたトレーニングセンター制度。将来、トップレベルの選手になれる可能性を持った選手を発掘し、年齢・所属などを超えてハイレベルな環境を与えることがトレセンの役割となっており、各年代の代表選手の多くが、トレセンを経験しています。)
中国でプロになるという逆の形
―転機となったのは?
その時に、コーチで来ていた中国代表の元選手が、中国でも力を持っていて、チームにいるアマチュア3人を中国に連れていくという話しがあったんです。最初は自費で留学という形で半年ぐらい、良ければ契約してくれるということだったのですが、まあ、このままでは上も目指せなくなるし。自分の中では、働きながらというのも嫌だったので、会社を辞めて、3人で中国に行きました。
―その時の心境は?
プロになるためにはその選択しかなかったんで。何個かあれば選べたかもしれないけど、それしかなかったんで、プロになれるチャンスかなと思って決めました。
―中国でプロになった経緯を聞かせて下さい。
最初は、3人とも2軍にいたんですが、試合に出してもらえるチャンスがあって、その時に活躍することができたんです。チャンスを活かす事ができたんですね。それで、サテライト(2軍)でレギュラーになりました。その中からは5、6人しかトップチームに上がれなかったんですが、監督がすごい僕を気に入ってくれて、僕だけプロになることができたんです。
中国で2年ぐらいやって、帰国して、当時、JFLの大分っていうチームにテスト入団して、その時初めて、日本でもプロの選手になることができたんです。
最初に中国でプロになるという逆の形でしたね。トステムでやってるときはほとんどアマチュアで、あのまま続けていたらプロにはなれなかったなっていうのはありますね。辞める時は周りからも言われたんですが、まあ、それが正解だったのかなと。一応プロになることができて、いろんな経験を若いうちにできて、生きていく上でも、その時の経験が結構、活かされているっていう感じがあります。
言葉も分からないし、住む所も汚かったし
―中国での経験が、その後も影響を与えているということですね。
そうですね。やっぱり、サッカーだけをやることを考えてきたし、技術的にも、サッカーに対する考え方も、プロの中でできたということが良い経験になっていますね。でも、やっぱり生活の面で苦しかったんで、精神的にも強くなれたことがサッカーにつながっているのかなと思いますね。
―生活面で苦しかったというのは?
もちろん、言葉も分からないし、必ず辞書を片手に持って行動していましたね。住む所も最初は汚かったし、食事の面でも外で何を頼んでいいのか分からなかったし、日本とのギャップが大きかったですね。行った当日に食あたりにあって、次の日病院に担ぎ込まれて。初日からそんな感じだったので、もう帰ろうかとも思いました。けど、会社を辞めて、せっかくみんなに見送ってもらってたのに、帰るわけにいかないなと。
―チームメイトとはいかがでしたか?
最初は3人いたからよかったけど、自分だけ契約になったわけだから行動も別になっちゃって、自分だけ中国の選手と住むことになったんです。当然、日本語で話すことができなくなってコミュニケーションとるのが難しかったですね。
そんな中でも、自分によくしてくれる人が何人かいて、言葉ができないのに他の友達に紹介してくれたりして、すごく感謝しています。最初は言葉も分からないし、気も遣うので嫌々だったんですけど、誘ってくれるし、行かなきゃ始まらないかなと思って。そのうち、自然と人付き合いができるようになって、今でも連絡を取ったりしています。
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