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Life Style コラム<No.1>

「渋谷」って、なんでしょうね、実際。読者の皆さんは、どういうイメージを持たれてますか、「渋谷」に。 たとえば、日本で最初にタワーレコードができた街だし、俗にいうクラブ・ミュージック専門のレコード店がごちゃっと固まってあるし、かつては「渋谷系」というジャンルもあったくらいだから、音楽の発信地というイメージはある。あるいはファッションとか若者の生態の先端、みたないわれ方もする。実際、昨年のブック・カフェタイプのカフェ流行りでも渋谷が先陣を切っていたし、「女子高生」という言葉のイメージも「渋谷」と重なったりします。

上記も「渋谷」の、全国に流通しているイメージですが、一方で IT 関連のベンチャー企業が集まる街というイメージもあります。より厳密にいえば、渋谷から井の頭通りを抜けて富ヶ谷、そのまま山手通りを北上して初台辺り、という一帯ですが、まあ、ビジネス方面でも、最先端、というイメージが通っているかもしれない(ビットバレーといういわれ方をしたこともありました)。しかしさらにその一方で、「渋谷」にも人が住んでいて、商店街で買い物したり、ゴミ処理場の建設に反対したりしている。池波正太郎の時代小説に出て来る古い神社が、オフィスビルに囲まれてまだ残っていたりもする。

そんな渋谷で、どんな人達が生活し、働き、遊んでいるのかといった生態を、ミクロ的な視点で観察し、レポートしようというのが、本コラムの目的です。渋谷に(あるいは東京に)、他の都市と違うところがあるとすれば、生き方の選択肢が幅広く、また世間の許容範囲が広いという点でしょう。それはそれで「自由な感じ」ではありますが、一方でなにか地に足の着いていない、手がかりのない不安もある。もし渋谷が、東京が、「先端」だとすれば、そうした「不安」の中で生きる方法を、様々な人が様々に試行錯誤しているという点ではないかと思います。そしてその試行錯誤は、ひょっとしたら、仕事にせよ生活にせよ旧来のやり方がますます効力を失っていくであろう 21 世紀という時代に於いての、「考えるヒント」のひとつになるかもしれません。

もっとも、それはこのコラムを読むあなたの読み方次第です。取り敢えず筆者としては、無理に大きな流れとか傾向とかを考えたりせずに、渋谷に集ういろんな人達を、たとえば「動物誌」を書いたシートンのように、淡々と楽しみながら描いていこうと思います。

「なるほどこういう生き方もあるのか」と参考にしていただくのでもいいし、「こんなバカなやつがいるもんだ」と笑って忘れていただくのでもいいし、いろんな「サンプル」に触れながら渋谷という街のまた違った顔を感じ取っていただくのでもいいし、まあ気楽に楽しみながら、本コラムとおつき合いいただければ幸いです。第一回めの今回は、自己紹介を兼ねて筆者「青木修」の生態をレポートしてみましょう。

***青木修(あおきおさむ) フリーランスライター 1965 年東京都下生まれ。現在は渋谷の駅から歩いて 10 分ほどのところに在住。大学中退後、コンピュータソフトウェア流通会社に勤務する傍ら、『 MACLIFE 』( BNN 刊)などコンピュータ雑誌で原稿執筆を開始。 1995 年にフリーランスとなり、 Macintosh 関連、マルチメディア関連、 DTP /グラフィックデザイン関連、インターネット関連、 CAD 関連、 PC UNIX 関連などの分野で記事を執筆。またコンピュータ関連書籍、雑誌の編集にも携わる。昨年末、共著で「 Macintosh G4 Cube Guide Book 」( BNN 刊)を上梓。
ホームページ URL : http://www.sophias.com/~aoki  

よい歳をした大人が、好きな時間に起きて好きな時間に寝るという生活を送るのは、いかがなものか。 と、いったようなことを時々考えるのだけど、しかし会社を辞めてフリーランスになってからかれこれ 5 年、三度めの年男を迎える今現在でも未だに眠けりゃ寝る、起きたら遊ぶ、遊ぶのに飽きたら仕事をするという生活を続けているのだから、これはもう死ぬまでこのままだろうと思う。

第一こうした生活は、フリーランスになってからではなく、会社勤めをしていたときでもほとんど会社に寝泊まりして同じような暮らしをしていたのだから、ある意味筋金入りと考えてもよかろう。現在も、仕事場として借りた部屋にそのまま住み着いているわけだしな。 むろんこんなことに筋金入りになってもなんの意味もないのだが、そういえば会社で朝方寝て、夕方まで寝ていてタイムカードが押せず、会社にいながら遅刻欠勤となることもしばしばあった。

とはいえ、歳を取って来るとよくしたもので、どんなに遅く寝ても、ふとした加減で早起きしてしまうことが最近はある。たとえば昼の 2 時に寝て夜 10 時に起きる、という完全に昼夜逆転することもままあるので、たまに朝 7 時頃起きて明るい内に一日を過ごすと、なんか却って新鮮で、充実した一日を送れたりする。 で、意味なく表に出て、江戸時代からある(らしい)近所の神社の境内で季節の匂いを楽しんでみたり、蕎麦屋で昼間から呑んでみたり、酒気を抜くのに銭湯の一番風呂に入ってみたりして(事務所暮しなので内風呂がないので)、要するに早起きしたからといって朝から仕事をするわけではない。まあ、別に風流な生活を気取ろうということではなくて、本屋やレコード屋を覗いたり、映画を観たり、気が向いたら近所の音楽スタジオにひとりで入って、数少ない道楽のひとつであるドラムを叩いたりなどもするわけだが。またむろん、外に出ず日がな一日 TV を眺めたりレコードをかけたり本を読んでいることもある。

つまりは目を覚ましてから仕事に取りかかる、仕事する気になるまでにかなりの時間を要する性質、ということだが、しかしこれは、プロとしては失格だろう。そもそも実際には、原稿用紙に向かって(あるいはコンピュータの画面のエディタに向かって)文章を書いては消し消しては書きしているときのほうが仕事は捗るわけで、仕事の現場から逃れて書くべき原稿のインスピレーションを得る、なんてのは言い訳に過ぎない。たまさか、町中で見かけた光景や小耳に挟んだ話が仕事のネタになったりすることはあるけれど、少なくともコンピュータ系の情報ライターであるわたしの場合は、読者に伝えるべき情報の出所はある程度はっきりしているわけだしな。一見仕事に関係のない行動が実は仕事に直結する、という局面は、まずほとんどないといって間違いない。 ということは百も承知なので、従ってぶらぶら遊んでいる間の心境は、実は非常に複雑だ。

それは罪の意識、というものでなく、自分が腐っていく感覚、とでもいえるもので、たとえば前述のごとく風流を気取るかのように昼間から蕎麦屋で蕎麦掻きかなんかで酒を呑んでいても、心の底から楽しんでいるというわけではなくて、ああ自分は目先の愉しみに淫して沈んでいくのだな、と思ったりもしつつ、またそういう心の動きを観察したりなどして、そうしてわたしの一日は過ぎていく。 もっとも、そうした日々の過ごし方について、実は特に深い感慨を覚えるわけではない。そうして無為に過ごしながら、実際のところは月に 30 本ある原稿の締切を最後の 10 日で片付けて、まあなんとか口に糊することもできれば、仕事を依頼してきた編集者が喜んでくれる仕事を納めることも(全部ではないが)できているわけで、だったら別に気に病むこともなかろう、というのも、本音だったりする。

いやむろんそれは間違いで、将来というものを考えればできる限り効率よく仕事を捌き、その仕事の分野に於ける地位を固めるべく努力していくのが筋なのだろうが、結局、持って生まれた性格のどこかに、過剰な太々しさがあるんだろうな、と思う。そしてわたしの場合、性格の中のその部分が歳を重ねるのと一緒に大きくなったということだろうか。 そして最近は、その性格の中の癌のようなものと共存しつつ、 22 世紀になっても図々しく生きているような気すらしているのだが。根拠もなく。

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